Kataru Link*語彙力と頭のスイッチ

スマホの活用のせいで、実際に手書きをする能力や、語彙力が落ちている
と新聞で読みました。(朝日新聞2022.10.13 平野啓一郎氏寄稿)

確かに、自分自身を振り返ってみても、漢字のイメージは沸くのですが、いざ書いてみると曖昧だったりすることも増えました。
昔は、例えば「薔薇」や「朦朧」の漢字が書ける自分がいたのに、その記憶はどこに行ってしまうのでしょうね。皆さんも同じように感じているのでは?

語彙力で思い出すのは、私は前職で外国籍の方の元で仕事をしていたこともあり、その方と一緒の時には難しい日本語を平易な言葉に置き換えて説明をしていました。打ち合わせの際にも、先方が四文字熟語や、専門用語で何か説明した時や、説明が苦手な人でわかりにくかったりすると、私が先に聞き返して、あえて簡単な表現に置き換えたり、相手が説明漏れしたところを補足して、〜のことですね?と確認する癖がついています。それは先方への質問ということだけではなく、同席している上司のための説明でもありました。25年以上そのように話しているとその癖が身に付いてしまうのです。

ふと気がつくと、例えば母と話す時、つい簡単な言葉に置き換えていることに気がつき、逆に、母に対しては本来の言葉で喋らないと母の脳が退化してしまうのでは?と感じ、これまで習性となっていた「難易→平易」を、逆の矢印にしなければと思うようになりました。

また以前は海外アーティストのアテンドで、通訳もしていました。私の場合は、単純に訳すのではなく、相手の方の言葉の裏の意味や、足りなかった部分を補って自分の言葉で組み立て直して伝えるということをしておりました。通訳としては不合格だと思いますが、これもまた私に染み付いた習性です。

このように相手により、いわば頭のスイッチを切り替えてコミュニケーションをとっています。フリーとして活動し始めて、そしてコロナ禍がやってきて、人との会話数が減っていますが、この頭のスイッチのおかげで脳内はフル回転しているような気がします。

相手に伝えたい、人と人の間でコミュニケーションの潤滑剤になりたい、その思いが私を説明する語彙の一つなのだと思っています。

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